死因はインターネット

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第一回「尊い」サミット

どうして私が美術科に!?第二巻4月26日発売!!!

(27日発売と間違えていたので訂正しました、みんなこれを指摘しないでくれた、優しい)

 

どうして私が美術科に! ? (2) (まんがタイムKRコミックス)

どうして私が美術科に! ? (2) (まんがタイムKRコミックス)

 

 

はい、この記事で言いたいことは9割言い終わりました、以下駄文です。

本作は毎月19日発売のまんがタイムきららMAX芳文社)連載中の作品です。きららのニューウェーブともいうべき新進気鋭の4コマ漫画、ニューウェーブなんて単語陣内智則ぐらいしか扱えませんよ。嘘。毎月28日発売のまんがタイムきららキャラットは「かわいさニューウェーブ」がキャッチコピーです。NEWGAME!載ってるよ、あとまちカドまぞく!!読んで!!!さっきの9割撤回するから!!!ここまでで9割!!!!

 

いいですねこの表紙……竹内……お前……顔がいいな……中央でドヤ顔する浦上紫苑ちゃん推せます。めっちゃかわいい……わかる……

帯は「ステラのまほう」のくろば・U先生による絶賛。こんな尊い4コマ見たこと無い……わかる……尊いですよね……尊い……とうと…ん?

 

尊い」とは???(茶番失礼しました)

 

本作の紹介をする文章は十中八九「尊い」というワードが組み込まれています、これ、水曜日のダウンタウンのみんなの説に投稿して良いですよ。でもみんな心のどこかで思ってるんじゃないでしょうか、「尊い」って結局どんな感情なんぞや……?

 

無粋極まりないことを言うと「み~んな尊いって言ってるしこのワードが一番しっくりくるよね☆」的な感じなんだと思います。でも!同じ作品を読んでみんなしっくり来るんだったら!偶然の一致じゃないのなら!なぜしっくりくるのか、「尊い」という感情のエッセンスは少なからず分析可能なんじゃないのでしょうか!!まぁ分析可能かどうかは言いすぎました、多分どっかのオタクが「〇〇尊い><」って適当に言ったのが広まってるんでしょうし。自分の中で「尊い」ってこういうことだよな~って考える過程が大事なんですよ、いいこと言った、残りの5%はここです。分析は他の人に任せましょう。

 

出涸らしの5%の本題に入ります。

 

 

自分は「尊い」という感情は「奇跡への礼賛」だと考えています。

 

尊い」は辞書的な意味だとざっくり言って「高貴だ、崇高だ、神聖だ~」みたいなものへの形容です。それは現実では起きえない、神の介入とも呼ぶべき事象です。神の介入こそが奇跡であり私たち徳の低い一般人はありえない出来事からそれを感じとり、拝んでいるのです。話のスケールが大きすぎますよね、書いてて自分でも思いますもん、何言ってるんだろ。

そもそも奇跡とはキャッチーなものです。キリストの起こした奇跡はごはんを出したり傷や病気を治したり……当時の食糧事情や医療知識を考えるととても人々のニーズを押さえてるのではないでしょうか?生存本能に訴えてやがる……善行をそんな風に言うな……はい……逆に神の介入が人に求められていないならばそれ奇跡ではなく天災か何かです。

何が言いたいのかというと奇跡はそれを認識した人が奇跡だと思えばいいんですよ、奇跡というワードに振り回されて宗教的な奇跡だけに発想が固執しちゃダメです!バスケとかサッカーの神ってるプレイくらいにランクを落としましょう!!ハイお終い!!!

 

さて、漫画には必ずそれを描いた作者が存在します。作者は自分たちと同じ3+1次元から原稿用紙ないしPSDファイルという2+1次元(絵+コマ割り/台詞)へと手を加えペンを加え創作世界が作り出されています。神と我々の関係はそのまま一つずつ次元を落とすことで作者と登場人物の関係に置き換えることが出来ます。その世界で生きる登場人物達は基本的には私たちの想像通り、普段通りに動かされています、さもなくば狂人動物園に早変わりですよ、ここまでリアリティのない女子高生は初めて見た、作者はもう少し現実を見て(『こみっくがーるず』おススメです)。この動かし方がひねくれるとウシジマくんみたいな人間の醜さを描いた作品ができるのでしょうがそれは今回の趣旨とは違うので忘れてください、確かに面白いけどね。ここで善なる神の介入、世界にキラキラを与える存在である作者が読者の望む奇跡をキャンパスに起こすのです。

 

かわいい女の子が顔のいい女の子と出会い、心の隙間を埋め合い、輝かしい毎日を過ごす……奇跡と言わずして何というのでしょうか、おれたちはこれが見たかったんだ。竹内は桃音ちゃんと二人寄り添って歩いて永遠(とわ)の愛を形にしちゃうんでしょう、知ってるんだぞ。

 

また、どうびじゅの奇跡性を後押ししているのが「時間」の概念だと思います。

1巻収録の11話、単行本98ページを開いてください、開きましたね。夏に入り、初めて教室の冷房が効いた教室で主人公の酒井桃音ちゃんはこう独白します。(関係ないですけどいままで独白を独自って勘違いしてたので意味間違ってないかな~て確かめようとしたら全然確認ができなかった、ブログをやっててよかった)

 

もう夏が来るんですね

 

高校三年間のうちの、一年目の夏が

 

出典:どうして私が美術科に!?1巻(芳文社) 著:相崎うたう

 

高校生活は三年間というタイムリミットが設定されています、留年でもしない限り。残酷にも過ぎていく時間の中で、大好きな仲間との高校生活の一瞬一瞬を彩っていく、終わりがその先にあるからこその儚さ、エモがそこにあり、日常の価値は跳ね上がります。

まぁ実際は彼女らの日常はインクとして紙に定着しており、いつだって見たい時にその姿を覗くことが出来ますが……それもまた一つの奇跡なんでしょうね……キラキラの日常とドキドキの毎日を4コマの枠線というショーケースにしまい込んだもの、それこそがまんがタイムきららのドキドキビジュアルコミックスなのです。

 

自分たちオタクは『どうして私が美術科に!?』を読み、そこに溢れる日常のかけがえのなさに高い価値を感じ、それを崇めて「尊い」と言う感情を抱くのでしょうね。

 

最後に、まんがタイムきららMAX2017年9月号(浴衣シノアリが表紙です、原悠衣先生色塗りうまいなぁ……)のどうして私が美術科に!?の一幕、シンデレラの劇をやることになった桃音ちゃんの文化祭準備中のとあるセリフで締めくくりたいと思います。自分が読み返した中で一番「尊さ」の核心を突いてる台詞です、2巻の内容なので単行本派の人は注意してね☆

 

……私は、少しあたり前に感じてしまっていたんです。

 

間違えた私を受け入れてくれて

一緒にいろんなものを描いたり作ったりしてくれる仲間がいることが

 

でもきっとそれはとてもすごいことで

特別なことで

 

この役を演じればみんなと過ごす日々に改めて感謝できる気がしたんです

 

出典:まんがタイムきららMAX2017年9月号

 

 

この記事の問題点は「尊い」という曖昧な単語を「奇跡」というさらに曖昧な概念を使って、その上「奇跡」を自分本位で捻じ曲げて有耶無耶にしているだけ、というところなんですよね。君も自分だけの「尊い」を探しに行こう!