死因はインターネット

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ワードミュート:死ぬわけじゃないんだし

何か困った事や悩み事がある時は人に相談する……してる……はず……それぐらいの知り合いは……多分居る……

お悩み相談という文脈において、決して使ってはいけない言葉がある。

 

「でも、死ぬわけじゃないんだし……」

 

 

死ぬわけじゃない?そんなこたぁ分かってるわ!「へ〜〜、死なないんだ、よかった〜〜」って思う人間がいたらそんな世界の認識でよくその時まで生きていけたなって感心する。

 

この言葉を使った瞬間、相手から答え/糸口/エトセトラを引き出そうとする「相談」としての会話は完全に終わる、後に残るのは中身のない空っぽの言葉のやり取り。いや、言葉ではなくただの空気の振動だ。

 

 

「死」という人類の悩みの最大公約数を引き合いに出すのは卑怯だ。

 

 

どんな悩みも、死を天秤のもう片方に乗っけた瞬間「些細な問題」に成り下がる。そりゃそうだ。しかし当該コミュニケーションにおける本懐はその悩みをどうするかという事だ。欲しいのは少しの踏み出す力と弱気な心を開ける魔法のキー。話を聞いてほしい、聞いてもらえるだけで満足できる人間もいるんだろうけど自分にはよくわからない。いや、話を聞いてほしい人にとっても死を引き合いに出されたら萎える。「死」が面白文脈を生み出すのはTwitterの終わってるタイムラインだけだ。

 

たけのこの里きのこの山どっちが好き〜?」という話題で「いや、白い恋人が美味しい」ってドヤ顔で言うようなものだ。絶望的なまでに空気が読めてない。チョコと小麦を組み合わせたお菓子の究極が白い恋人なのだから。200円の、コンビニにおいてある同条件のお菓子でどっちが好きか、という土俵で戦っているのが分からないのか。

 

 

「死ぬわけじゃないんだし」というワードで相談に乗ったつもりでいる人はなーーんにも考えてない、多分、末期ガンの話でも脊髄反射で死ぬわけじゃないんだしとか言う。

相手の問題を理解するつもりが無いからとりあえずの真実を言って有耶無耶にして相談に乗った体を整えているだけだ。事実上の「これ以上お前の話についていけないわ〜」宣言である。バレているからな。

 

 

仮に人生の残機がいっぱいあるなら、「死ぬわけじゃないんだし」って言われた問題でハチャメチャになってマジで死んでみたい。きっと驚くだろうな。その顔を見た時、本当に生きててよかったなって思えるんだろう。仮にの話なので本気にしないで下さい。

 

 

こんな事をつらつら書き連ねていると、我ながらすげ〜わがままだと思う。そもそも相手にとって自分は具体的解決策を考えてあげるに値する人間なのか、とかそもそもの問題に対処するのは自分なんだし人に相談してもたかが知れてない?とか。わ〜〜〜〜〜〜〜〜〜うるせ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!