死因はインターネット

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子供の心、最後の晩餐

ドリンクバーで初めにメロンソーダを選ばない人間は子供の心を忘れてしまったつまらない奴だ。

 

これを持論として主張していたが「ジンジャーエールいっちゃいますね」とか「や、山ぶどうスカッシュですかね」とか「炭酸飲めない」とか言われて共感を得られなかった。炭酸飲めないのはごもっともだと思い、以降これを人に言うのは止めるようにした。

 

 

 

今日のことだ。外でご飯食べながらブログ書くか……今月全然書いてないし……と思い最寄りのサイゼリヤに行った。このブログはドトールサイゼリヤ以外の飲食店は出てこない。

 

サイゼリヤに行く時はいつもパスタとピザを真っ先に選択肢から外す。いつも頼むのはハンバーグか米か小エビのサラダだ。複数人でサイゼリヤのテーブルを囲む時、ペペロンチーノのダブルサイズを頼む人を見て内心変な選び方だな……と思っていた。

 

 

しかし、今日は違った。

 

トマトの酸味と角材のようなゴロゴロベーコンに心を奪われ、パルマ風スパゲッティを頼んでしまった。人間は好奇心に勝てない。もちろん、ドリンクバーも一緒に注文した。

 

メロンソーダを飲みながら、TLを眺めて感情のあるCPのイラストにハートを飛ばす。そうこうしないうちにスパゲッティが来た。スパゲティじゃなくてスパゲ“ッ”ティなのがムカつく、気取ってんじゃないぞ。

 

パスタ自体を食べるのが久々だと思いながら、皿に鎮座する細い麺の集合体に軽くテンションが上がる。右手にフォーク、左手にスプーンを構え、スプーンを壁にしながらフォークにパスタを巻き付けていく。

 

 

この時自分は絶望した。

 

 

今まで自分はパスタの細長い形に心を踊らせていた。しかし、今フォークの先にあるものは何だ?パスタの本質である細長い形は面影もない、丸まった何かがそこにあった。食べやすいようにする為、パスタとしての個性を殺された小麦とトマトとベーコンの塊。

 

いつからだろう、パスタを巻くようになったのは。

いつからだろう、口が汚れるのを恐れてパスタを極端に静かに食べるようになったのは。

いつからだろう、麺を麺として楽しめなくなったのは。

 

細長く食べづらいパスタを純粋に楽しむ、食べる時の体の動き自体を楽しんでいた子供の自分は既に死んでいた。メロンソーダを注文し、自分が子供のままでいると思い込んでいた人間の哀れな末路がスプーンの鏡面に反射した。

 

慌ててメロンソーダを飲み干し、ドリンクバーへ急ぐ。子供の心を落としてしまった事に気づいた今、メロンソーダの鮮やかな緑色は自分には似合わない。

そうだ、トニックウォーターにしよう。ジンやウォッカを割る為にある炭酸水。

 

炭酸の泡が浮かぶ無色透明の液体を口に含む。色を失った自分を戒めるかのように柑橘のほろ苦さが舌の上で弾けた。