死因はインターネット

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天才と凡人の相克(どうびじゅの蒼紫のおはなし)

相崎うたう先生の『 どうして私が美術科に!?』はこのブログの読者なら皆読んでいるだろう。この作品について、どうしても語りたい展開がある。まだ単行本には収録されていないが二学期を終えた桃音たち5人が通知表を見せ合い、語らう回。そこから描かれた浦上紫苑、そして河鍋蒼の一連の心情だ。

 

そもそも、紫苑は主要5人の中で最も美術を愛し、憧れ、そしてそれに向き合おうと美術科にコマを進めた女の子だった。関西の中学から舞台の高校に進学し、そこで離れ離れになっていた幼馴染の河鍋蒼と再開した。夫婦漫才と揶揄される掛け合いを見せながら、「真面目だけどどこかズレてる紫苑」と「奇想天外だけど着実な蒼」の対比が浮き彫りになって行く。

 

そして件の回、学期末の通知表、美術の評定をきっかけに紫苑は蒼が自分には無い才能を持ち合わせていることに、嫉妬に近い情を抱いていた事を桃音に告げる。回をまたぎ、場面は紫苑×蒼のお泊まり会へ移り変わる。紫苑の憧れの画家であり、彼女達の学校の教師も勤める蒼の母はそれを個性として諭すのだが、ありきたりとも言えるその言葉は天才の壁に打ちのめされた紫苑には届かない。凡人は天才に一生手が届かないのか?

 

 

実際のところ、紫苑にとって蒼が天才に見えていたのは彼女が中学で別れた紫苑に会う為に努力を重ね、美術の実力をつけていたからだった。芸術は成果物から判断するしかない故に天才と努力を上乗せした秀才の違いは曖昧なのだ。

 

『どうして私が美術科に!?』における紫苑の「どうして」は美術への憧れだ。しかしその「どうして」は憧れの美術の前にそびえ立つ天才との壁によって消えかかっていた。

蒼の「どうして」は美術に憧れた紫苑への憧れだ。しかしその「どうして」は同時に憧れの紫苑と自分とを隔てる壁そのものになっていた。

 

美術に、母に夢中であった紫苑に振り向いてもらうため、彼女に近づくために努力した自分の美術が、逆に彼女を苦しめ自分から遠ざける呪いになっていたことを知る。天秤の両側に乗せられた二人の残酷な関係性、これほど恐ろしいことがあるだろうか。紫苑と河鍋母の会話を盗み聞きしていた蒼の心情は独白されなかったものの、その辛さは彼女に貼られたトーンが物語っている。

 

幸い、この件は蒼の努力をカミングアウトされて丸く収まった。しかしその根本的な解決はまだ成されていない。ここが『 どうして私が美術科に!?』の油断出来ないところだ。

 

蒼が純度100%の天才ではないと言われても、紫苑は未だ天才とどう向き合うかの結論は出ていない。そもそも母の血を受け継いだのもあって、蒼の作品から「才能」を否定することは出来ないだろう。来年も、紫苑を蝕む呪いになるかもしれない。この時、彼女らはどう向き合っていくのだろうか?

 

ヒントなら与えられた。蒼の母の言葉をそのまま解釈すれば、紫苑は天才の背中を追うのではなくやがて自分だけにしかできない美術を見つけるのだろう。この一件を通じて、蒼は紫苑のためではなく自分のための美術へと舵を取りはじめた。奇しくも似たようなゴールで、また蒼が一歩リードする形になってはいるが、そのきっかけをくれたのは他ならぬ紫苑であることに運命を感じずにはいられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみにこれが収録される単行本が出るのは恐らく来年の5月頃だ。3ヶ月前のMAXを読んでないやつ!!!!!!!!ざまぁみやがれ!!!!!!!!!!!!!!あーーーーー単行本派にマウントとるの楽しーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!