死因はインターネット

説明しよう!このブログは!オタクの文章力が上達していく様を眺める実録ドキュメンタリーサイトである!

とろとろvsしゅわしゅわ

オムライスには2つの派閥がある。

しっかり焼いた薄皮たまごをチキンライスにきれいに包むタイプ。白いご飯に半熟とろとろのたまごをかぶせ、周りにソースをかけるタイプ。

 

自分が好きなのは後者だ。とろとろでぐじゅぐじゅな方がたまごの味を楽しめ、デミグラスソースのビターなうまみがプレーンなお米と合う。前者はメイド喫茶で♡を描くためのキャンバスに過ぎない。……これは言いすぎた

 

 

 

昨日、急にオムライス食べたいゲージがMAXになった。脳が黄色一色になり「今めちゃくちゃオムライス食べたいんですよね〜」と言い回った。自分のコラボカフェが出来たら絶対メニューにオムライス入れるからな。

オムライスの中身はチキンライス派か白飯派の話になったがみんなチキンライス派だった。「オムライスは中身がチキンライスで、白いご飯なのはオムレットライスって言うらしいですよ〜」なんて言われた。なるほど確かに和製英語だ、天津飯もそうだっけ?なんて返した。この切り返しはよくできたと思う。そんな下らない話を交わしながら、オムライス食べたい欲は更に熟していった。

 

 

 

……という訳で今日のお昼はオムライス。「卵と私」というお店、エッセイ集の名前みたい。

直感で「スフレオムライス:デミグラスソースのうんたらかんたら」にした。なぜならマッシュルームが美味しそうだったから。

 

運ばれてきた、写真を撮ったが壊滅的にセンスが無く、それが記事一覧にサムネっぽく表示されるのが嫌なのでここでは貼らない。

チキンライスの上にたまごの塊が乗っていて、よくある「割るとパカって開いてとろとろが広がるやつ」かと思った。あれ、一度やってみたい。

 

スプーン入刀、オムライスの欲求と理性の初めての共同作業。

サクッ……

 

サク?????予想外の手応えだ。とろとろのたまごが決壊すると思ったけど、そこには気泡でぷつぷつしたウェルダンでもレアでもないぷるぷるたまごの断面図があった。スフレオムライスの名に恥じぬメレンゲっぷり、メニューにそう書いてあったじゃねぇか。

 

食べてみると、たまごの風味とチキンライスのしっかりフレーバー、デミソースのビタみが合わさって実際美味しい。ただ一つ特筆するとたまごが口の中でしゅわしゅわする!しゅわしゅわはちょっと言いすぎかな?気泡が不思議な食感!!!

 

しゅわしゅわととろとろは味相環における対極にある概念、赤とシアンの関係なのでとろとろたまごと真逆のたまごが来てビックリしてしまった。いやこれはこれでアリですよ、たまご料理を等しく愛しているので……

しゅわしゅわたまごのオムライスという第三勢力はどれくらい市民権を得ているのかはわからない。でも自分はやっぱりとろとろオムライスの方が好きだな〜〜〜〜〜

 

 

確かにオムライス食べたい欲は満たされた。食べた瞬間右上にトロフィー獲得のポップアップが見えた。

しかし、舌がオムライスという快楽を再確認してしまった。それと同時に満たされなかったとろとろたまごのオムライスへの渇望を連れてきてしまった。

とろとろ・オムライス・モンスターがいつ脳内に黄色いペンキをぶちまけるか分からない。自分は怪物を飼い慣らしながら生きていかなければならないのだ。今週中に絶対とろとろのやつを食べるぞ。食べるからな!!!!!

 

 

 

あと「白いご飯のはオムライスじゃなくてオムレットライス」というのはガセだった。

 

めでたしめでたし

パワー表紙のエトセトラ

何もなくても本屋に行くのが楽しい。

自分の地元はそこそこな田舎だった故、数少ない娯楽施設イオンで遊ぶことが多かった。その中でもだいたい行く場所は内接された映画館かゲームセンターか、そして本屋くらいに択が絞られていた。多分、そこから成長していないんだと思う。

 

今までは漫画コーナー(アニメイト行けば……?)やレシピ本に魂を奪われていたのだが、ブログをやり始めてから足りてない文章力のお勉強をする為にそういった本を漁ることが増えた。その流れでビジネス文章の棚とかにも行く。ブログとかSNSの棚に行くとSEO対策の本とかあるけど……まだ早いし……って言うかそこまで文章力が身に付あ〜〜〜駄目、触れないで欲しい。

 

 

ビジネス本……というか自己啓発本の棚、あそこは精神攻撃を与えてくるタイプのトラップだ、魔窟だ、ダンジョンで言うと推奨レベルが55くらいある。

 

「〇〇になりたくなければ〜〜をしろ!」「〇〇をするな!」「休め!」「頑張れ!」そんな不安を煽るタイトル達がこのくらいの文字で面陳列され、左右から表紙が自分を挟む。あ~~~~~だめだ~~~~~主義主張で俺を囲むな~~~~~~って言って発狂しそうになる。新書の慎ましい明朝体とフォントサイズを見習え。

あとだいたい隣の通路はドナルド・トランプとかが帯で巻かれた国際情勢の本が並べられている。助けてくれトランプ俺を再び偉大にしてくれ。

 

まぁ理屈は分かる……豆知識だが本は売り物なので読者はお金を払ってその本を買う必要がある。ミミズだってオケラだってアメンボだって極力お金は払いたくない、オケラだし。でも売る側からしたら買ってもらうために本を出してる~ので買いたい欲を刺激しないといけない。って言うかあーゆー本ってめちゃくちゃ高いよね……

じゃーどうするのかっていうと財布を軽くするという金銭的デメリットよりも読まなかったことで失う何か、啓発されなかった惨めな自分のほうをデカくして出来上がりだ。バケモンにはバケモンぶつけんだよ理論である。それと、ぶっちゃけよくわからん本を買う際のきっかけは8割が表紙なのでパッと見でわかるように誇張してヤバヤバ心刺激タイトルがつけられパワー表紙が出来上がる……はずだ。広告って大変ですね。

 

つまり何が言いたいかとゆーと自己啓発本達の表紙から読まないとヤバい!と思わせようとする意図が透けて見える~~~本質を突くな~~~~~~わ~~~~~~~邪推だとしても見て見ぬふりしてる心のアキレス腱を刺そうとするな~~~~~~助けてくれ〜〜〜〜〜〜

 

 

そもそも自分は自己啓発というモノに適合できていない気がする。

あっでもどっかで見た『会議でスマートに見せる100の方法』はそういったものを小馬鹿にしてるから好き……バカリズムのフリップネタみたい……

誕生日に親から君たちはどう生きるかの漫画版を貰ったけど「とりあえず目を通してみるか〜」って言ってなんとなくで読んだあとに「ずっる〜〜〜」って言いながらpixivでコペル君を検索した(一件しか出てこなかった)。それくらい不真面目で、自己を啓発しようとする意欲がない。古本屋で自己啓発の類を何冊か買ってみたが、結局面白そうなところだけ、何かのネタになりそうなところだけ自分のものにできたら嬉しいな程度に留まっている。

 

 

表紙といえば、こんなことが前にもあった。

 

自分は絵描きのはしくれで、それでもってオタクなので同人誌なるモノを買う。薄くて高い密造された聖典だ。

即売会で作者とメンチ切りながら買うことももちろんあるが、ビッグサイトに行くのが「め、めんど〜〜〜っ」ってなることが多いので6割くらいは同人誌委託ショップで買う。

クリエイターが作り上げた虎の子は虎穴に入らんば得られない、かわいい女の子の事を子猫ちゃんって呼ぶキャラもいるし「とらのあな」って上手いこと名づけられてますね……違う?

 

同人誌はその薄さ故に背表紙で区別することが出来ないのでショップに並ぶ時は表紙がデデンと見えるように並べられる。表紙は手に取ってもらえるか否かを決める1番のアピールポイントなので(作ったことあるから分かるんですよ)そりゃもうめちゃくちゃに力を入れてるはずだ。

 

ショップという魔窟に入り(言い忘れていましたが成人向けコーナーの話です)神同人作家達のパワー表紙に囲まれる。すごい……デッサンが狂ってない……背景が描いてある……これどうやって塗ってるんだろ……画力上げてーなーって言いながらマトモに練習をしていない自分のアキレス腱を画力の高い乳首が刺してくる。そして劣等感がハチャメチャに刺激され、発狂し、男は自殺した。最低のウミガメのスープである。(ジョークなので実際には自殺してません)

 

 

自己啓発本はまぁそこ通らなければ良いんだろうけど……でも怖いもの見たさで時々その棚を通ってしまう……そしてヤバヤバ太文字表紙に囲まれて偉い人の圧でカッスカスの危機感を煽ってしまう。精神的なリストカットだ。

 

同人誌ショップについてはまぁいい刺激だと思って画力を上げるきっかけに……できて……でき……な…………よし何も考えずに推しカプがイチャイチャしてる中身を読もう!!!!!!!!!!!!!!

 

 

めでたしめでたし

犬と映画とフラッシュバックの話

自分の映画館デビューはいつだったかを思い返す。ひらがなも書けぬ赤ちゃんだった頃だ。

ショタ千歳とせなんてレベルじゃない、えーっと……何歳とせだったっけ……。押さない・駆けない・喋らないなんて社会性から最もかけ離れた存在、それがBaby。幼かったしおかしは好きだったけど。

初映画は正直言うと全然記憶に残ってない。主に赤ちゃんの記憶力のせいで。しかし一つだけ覚えていることがある、映画館で刻まれたトラウマ、恥ずべき汚点。いや赤ちゃんだし仕方ないよね……

 

作品名は覚えている、101匹わんちゃんの実写版の「101」だ。親の意図としてはディズニーとトムとジェリーのVHSを見て育ったからとかそーゆーのがあったんだろう。でも日本公開の時自分は何歳で……でもそんなに若かったのにビデオ見てたっけ……?公開期間が長かったのかな?ここがわからん……

 

自分はこの映画を見ていた途中でそりゃもうハチャメチャに泣き出し、親に連れ出してもらった。めちゃくちゃ怖かったのだ。このブログは過去の恐怖を洗い出すことでコンテンツを提供している。暗い館内も、映画館の魅力の一つである音響も、悪役のクルエラも、表情豊かなアニメとは違って何を考えているかわからない実写の犬も怖かった。それがいっぱいいるんだよ……そりゃ泣くわ!!!

 

その後、ダルメシアンが怖いという曖昧な記憶を抱えながら生きていた。すくすく育つ中である程度の社会性を弁えて、次に映画館で映画を見たのは多分ポケモンだったと思う。ジラーチとマサトの別れで泣いた。ま~た泣いてやんの。

 

 

そして年月が流れ、トラウマを克服するために最近これを見直した(101のほうです)。近所のTSUTAYAは壊滅したがAmazonビデオでレンタルした、すっごい便利。

101 (字幕版)

101 (字幕版)

 

自宅のパソコンの前という非常にクローズな環境、そこに社会は存在しない。エナジードリンクを飲んだって、一時停止してトイレ行ったって、二窓してTwitterしたって許される。最高……

 

今冷静になって見てこの映画を見てみると、確かに怖いと思うのも仕方がない。クルエラ(↑の画像の魔女みたいな女)がハチャメチャにキレる、怒鳴る、うるさい。 

そうこうしているうちに主人公の犬が15匹の子供を産んでいつの間にかそれなりに育ってた。そっか……99匹産んだわけじゃないんだ……そりゃそうだよな……ウミガメじゃないし……

開始40分くらいだろうか、主人公夫婦の家政婦が首輪を買ってきたので子犬たちを集めるシーンがあった。子犬たちが階段を駆け下りる。

 

あ!!!!ここのシーン覚えてる!!!!!ここで泣いた!!!!!!(フォントサイズを急に大きくしてごめんなさい)

 

フラッシュバック……というにはあまりにもしょぼっしょぼな内容だが(そもそも怖いシーンじゃないし)この場面を見た瞬間に銀幕で刻まれた記憶が思い起こされた。人間の脳みそってすごい……だってその時赤ちゃんだったんだよ……よく覚えてたな……ってかめっちゃかわいいシーンじゃ~~~ん

疑問が解消され、あとはまぁ消化試合みたいな感覚で見ていたのだが(犬が盗まれて逃げて帰ってきた、おわり)ぶっちゃけ内容はホームアローンだった。動物という弱者が怖い大人を罠でやっつけるコメディ調な構図、ホームアローンじゃん!!!ってパソコンの前で言った(マジで)。脚本が同じ人らしい、ふーん。

あっ、ちなみになんで15匹しか子犬いないのに101なのかというとほかにも敵のもとから逃げてきたダルメシアンの子犬がいっぱいいて合計で子犬99匹+親犬夫婦2匹で101になるからだ。犬がめちゃくちゃいっぱいいるから怖かったんだと思ったけど自分が泣いた時はまだ17匹しか出てなかったってこと……?

 

 

え~~~自分こんなので泣いてたんだ~~~というあっけなさ。そしてそんなコメディ映画を楽しもうとしていた他のお客さんをベイビー・泣き喚き・ヴォイスで邪魔してしまった申し訳なさが浮かぶ。赤ん坊に泣くなというのも酷な話だが、今思うと恥ずかしいな~~~~~

  

おわり

 

ふわふわビーズクッションを見る度に赤血球を思い出すよね

「血 増やす 食べ物」で人類の叡智Googleたんに情報を集めてもらおうとする。

だいたい出てくるのは「貧血対策にはこれを食べよう!」というページ、ページ、ページetc…

 

違うんだよな〜そういうことじゃない。血そのものの増やし方が知りたい。

 

貧血は血が足りないのではなく血液の中の赤血球という粒子が少ない/薄い状況だと漫画で読んだ、漫画はいつも大切なことを教えてくれるからだ。「はたらく細胞」を見ていない自分でも血液というものが赤血球だけじゃなくて、ドロドロした何かに赤血球とか白血病とかそういったものが溶けたスープであることは知っている。

スープ、そうだスープに例えよう。ラーメンのスープの作り方を知りたいのに鶏のガラの炊き方しか教えてくれないようなもんだ。体の中の厨房における蛇口の捻り方とかニンニクとかネギの青い部分とか、そーゆーのが知りたい。

 

とりあえずいっぱい寝るのがいいのかな、20何年稼働している製スープ場に任せるしかない。家系ラーメンにほうれん草トッピングして食べるので許してね(いいよ!)

 

 

 

 

あっ、なんで血を増やす方法を調べたかと言うとパジャマに血で絵を描けばルミノール反応で発光するので光るパジャマ作れるじゃ〜〜〜ん笑って思ったからです。そもそもの前提として「大人サイズの光るパジャマが存在しないので、幼少期に光るパジャマを着た経験が無いのは人生におけるトロフィーを取り逃していることになるのではないか!?」って話をリアルでして、人生もったいないゲージが貯まり「パジャマ……光らせてぇ……」って事ばかり考えていたバックグラウンドがあります。

 

でも血いっぱい必要だし、やりすぎたらパジャマの前に死装束に袖を通してそのまま全てが終わっちゃいそうだからそれをどうするかって悩んでたんですよね。

結局絵を描けるほどいっぱい血を出して更に自分は痛くないし跡も残らない方法が見つからなかったので「ルミノール反応で光るパジャマを作ってみた!」チャレンジはやめました。安心してください。

 

 

ミステリー作家になったら犯行時に着ていたパジャマから出たルミノール反応が決め手になって事件が解決する「光るパジャマ殺人事件」って短編書くのでよろしくお願いします。

 

めでたしめでたし

怖かったポケモンの話

子供の頃、マダツボミというポケモンが怖かった。今も正直怖い。

え……くさタイプ?ゴーストタイプとかじゃなくて?と思う人もいるかもしれない。そうだよ、おれはマダツボミが怖いよ。

 

これにはきっかけがある、マダツボミに恐怖を植え付けられた明確なエピソードがある。恐怖という名のやどりぎのたねを植えられたってポエミーなことを書こうとしたけどマダツボミ系はやどりぎを覚えないそうなのでやめた。

 

アニメ版のポケモン……多分時期的に金銀の終わりら辺のエンディングで「ポケッターリ・モンスターリ」という曲があった。まるいやつだったりほっそいやつだったりとがったり毛深いやつがいてみんな違うね不思議だねって内容のアレ。

そのエンディング映像のサビでポケモンが踊るシーンがあるのだが、そこでマダツボミが元気に踊っている姿を見てめっっっっっちゃくちゃ怖かった、それが脳裏に焼きついている。

 

でかい頭にほっそーい胴、脚、葉っぱの両腕。明らかに頭と身体が釣り合ってない、その頭を根っこで出来た身体は支えられるのか?

ポキッ(やわらかそうだからヘニャッ?)って重い頭が落ちそうな/落ちてもおかしくないマダツボミ。それがニコニコしながら左右に動き、こっちを向いて身体を揺らす。第四の壁を見つめるマダツボミの顔は曇りの一切ない笑顔、顔文字で例えると「^⚫^」(⚫は口です)。それがとてつもなく不気味だった。初めてポケット“モンスター”の意味を理解できた気がした。

 

不思議なことに「マダツボミ 怖い」で検索してもジョウト地方のダンジョンの「マダツボミのとう」の話しか見つからない。皆怖くないの???体あんなに細いのに???モンスターボールの中で、丸い空間のほとんどを頭が占めて体というか根っこ?をカバンの中のイヤホンみたいにくにゃくにゃ折り曲げて仕舞ってそうなのに、こっわ〜〜〜

 

 

今思うと踊るポケモンのチョイスも謎だった。まずはじめにピカチュウが踊ってる、かわいい、お前この頃にはもう痩せてたな……次にトゲピーピカチュウの隣に現れる、かわいい、手足短いのに一生懸命踊るのいいね……サンリオキャラクターみたいだよ……

次にマダツボミが現れる。何故?????

マダツボミってそんなに特別なポジションなの?なんか、ロケット団知名度あるしケレン味的にソーナンスとかでいいんじゃないの?いやまぁ3匹目で急に強面枠のニドキングとか出てきたら困惑しちゃうけどなんでマダツボミ?モーションつけやすかったから?まぁ金払って振り付け考えてもらってんならまぁ踊らせないと勿体ないよな……

その後まるいプリン(かわいい)や四足歩行(でも足は毛で隠れてるからアメリカの牧場の藁の山みたいになってる)のイノムーや二本足のドードリオアンノーンが踊る(ような動きをする)。アンノーンに至ってはくねくねしてるだけじゃねぇか。

 

 

……書きながら気付いたんですけどこれは歌詞に合わせてるだけだ。ほっそいやつ=マダツボミ、毛深いやつ=イノムー以下略。わかったところでマダツボミを踊らせて恐怖を植え付けた罪は消えない。こわいものはこわい、おれはその話だけをしているんだ。

 

 

ちなみにTokyo MXで艦これのアニメを見ていた時の前番のネッコロTVのキャラクター“ネッコロ”も記憶に残っている。猫の顔に根っこの身体、構造はマダツボミと同じだけどアレは怖いとか不気味以前にコンテンツとしての雑さと単純に顔がムカつく見た目のせいで怖くはなかった、殴ったりプチってしたいとは思ったけど。

 

めでたしめでたし

たろたろたろっと〜〜〜♪

TLがタロットの話でちらほら盛り上がったのでタロットの本をサラ〜〜っと読みました。興味深かったのがタロットの歴史について、覚書程度にメモっておきます。

 

タロットは元々はトランプの大元であったカードに大アルカナの22枚を追加した、ギャンブルとか娯楽用のカードでした。遊戯王エクストラデッキみたいなやつ?元になったやつは小アルカナと呼ばれる方ですね。棍棒/剣/聖杯/硬貨の4種×(1〜10の数字+役職4人)の56枚、もろトランプじゃん……タロット占いってこれも覚えるの?めんど〜〜〜(大アルカナだけでも遊べるそうです、というかカンニングしてもいいでしょ)

 

 

その後、タロット占いがなんやかんやで現れ古代エジプトの神話と関連付けることでタロット自体に神秘性を持たせました。ジョジョ3部のせいでタロットはマジでエジプトが起源だと思ってたんですけど違うらしい。権威付けじゃん、ずっる〜〜〜。

 

神秘的になったタロットに、今度は秘密結社「黄金の夜明け団」(なまえがかっこいい)の手によって魔術的、オカルティックな側面が与えられました。タロットよりずっと前からあったカバラ生命の樹の小径と結び付けられたりね。魔術師は創造だったり星が希望だったり、あらゆる精神活動を結びつけられ、タロットは神秘的な霊的世界の地図になりました。多分、金になったんだろうな〜〜〜でもこの段階が一番楽しそう、オタクの血が騒ぐぜ。

 

 

そこからしばらく経ち、タロットというものが一般/大衆化されるまで。そもそもとしてオカルトは科学、もっと言うと産業革命とかいろいろあって科学で成り立った主流な社会そのものに適合出来なかった者達の逆張りとして発達しました。科学、機械、金、労働讃歌、そのような価値観に馴染めなかった根暗が別のベクトルに逃げ神秘に救済を求めたものがオカルトです。自分は哲学も同じだと思ってます、そしてサブカルチャーオタク文化も、というか芸術そのものが。斎宮宗もそう言ってる、あんさんぶるスターズ!の返礼祭:人間賛歌を読んでください。

 

60年代のアメリカにおけるカウンターカルチャー、経済/近代化へのアンチテーゼとしてヒッピーやロック・ミュージックの出現と共にタロットは掘り起こされました。ここで問題となっていたのが秘密結社によってタロットが魔術的体系に組み込まれ、ぶっちゃけ難解であったこと。個人で完結するよう簡略化され、またタロットから何かを得て糧にできるよう自己啓発の側面も与えられ、大衆化しましたとさ、めでたしめでたし。

 

 

元々はタロットは娯楽用のおもちゃということで、占いとかに使う場合わざと深読みをする必要があるんですね。ふーん。

別に偶然引いたカードが全てを物語っている訳じゃなく、カードから得られるメッセージを足がかりにして改めて自分を見つめ直すことで、解決のヒントなりアドバイスなりに気づくのがタロット占いとのこと。何?バーナム効果なの?ペンデュラムに続いてタロットまでも現実に落とし込まれてしまった……

 

タロットのカード達は世界の全ての要素が象徴化されていて、そこからランダムにカードをピックアップして人生を読み取る〜とかタロットのシンボルによって無意識だったりを刺激して内部に眠った可能性を目覚めさせる〜とかオカルト的に面白そうな要素はありました。あれ?後者のってただの自己啓発

無意識とか潜在意識とか、オカルトの為にそろそろユングを勉強する時なのかもしれない、意味のある偶然の一致……

 

 

それはそれとして、キャラにタロットを当てはめたりするのはめっっっっっっっちゃくちゃ楽しいです。黄金の夜明け団になりたかった。

やっぱり根の思想が似通ってるからオタクはオカルトと相性が良いと思うんですよね、哲学も。本人の書いた著書とかは何言ってるかわからねーですけど、頭のいい人が咀嚼したやつとかはサラサラ入ってきて面白いです。

天才と凡人の相克(どうびじゅの蒼紫のおはなし)

相崎うたう先生の『 どうして私が美術科に!?』はこのブログの読者なら皆読んでいるだろう。この作品について、どうしても語りたい展開がある。まだ単行本には収録されていないが二学期を終えた桃音たち5人が通知表を見せ合い、語らう回。そこから描かれた浦上紫苑、そして河鍋蒼の一連の心情だ。

 

そもそも、紫苑は主要5人の中で最も美術を愛し、憧れ、そしてそれに向き合おうと美術科にコマを進めた女の子だった。関西の中学から舞台の高校に進学し、そこで離れ離れになっていた幼馴染の河鍋蒼と再開した。夫婦漫才と揶揄される掛け合いを見せながら、「真面目だけどどこかズレてる紫苑」と「奇想天外だけど着実な蒼」の対比が浮き彫りになって行く。

 

そして件の回、学期末の通知表、美術の評定をきっかけに紫苑は蒼が自分には無い才能を持ち合わせていることに、嫉妬に近い情を抱いていた事を桃音に告げる。回をまたぎ、場面は紫苑×蒼のお泊まり会へ移り変わる。紫苑の憧れの画家であり、彼女達の学校の教師も勤める蒼の母はそれを個性として諭すのだが、ありきたりとも言えるその言葉は天才の壁に打ちのめされた紫苑には届かない。凡人は天才に一生手が届かないのか?

 

 

実際のところ、紫苑にとって蒼が天才に見えていたのは彼女が中学で別れた紫苑に会う為に努力を重ね、美術の実力をつけていたからだった。芸術は成果物から判断するしかない故に天才と努力を上乗せした秀才の違いは曖昧なのだ。

 

『どうして私が美術科に!?』における紫苑の「どうして」は美術への憧れだ。しかしその「どうして」は憧れの美術の前にそびえ立つ天才との壁によって消えかかっていた。

蒼の「どうして」は美術に憧れた紫苑への憧れだ。しかしその「どうして」は同時に憧れの紫苑と自分とを隔てる壁そのものになっていた。

 

美術に、母に夢中であった紫苑に振り向いてもらうため、彼女に近づくために努力した自分の美術が、逆に彼女を苦しめ自分から遠ざける呪いになっていたことを知る。天秤の両側に乗せられた二人の残酷な関係性、これほど恐ろしいことがあるだろうか。紫苑と河鍋母の会話を盗み聞きしていた蒼の心情は独白されなかったものの、その辛さは彼女に貼られたトーンが物語っている。

 

幸い、この件は蒼の努力をカミングアウトされて丸く収まった。しかしその根本的な解決はまだ成されていない。ここが『 どうして私が美術科に!?』の油断出来ないところだ。

 

蒼が純度100%の天才ではないと言われても、紫苑は未だ天才とどう向き合うかの結論は出ていない。そもそも母の血を受け継いだのもあって、蒼の作品から「才能」を否定することは出来ないだろう。来年も、紫苑を蝕む呪いになるかもしれない。この時、彼女らはどう向き合っていくのだろうか?

 

ヒントなら与えられた。蒼の母の言葉をそのまま解釈すれば、紫苑は天才の背中を追うのではなくやがて自分だけにしかできない美術を見つけるのだろう。この一件を通じて、蒼は紫苑のためではなく自分のための美術へと舵を取りはじめた。奇しくも似たようなゴールで、また蒼が一歩リードする形になってはいるが、そのきっかけをくれたのは他ならぬ紫苑であることに運命を感じずにはいられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみにこれが収録される単行本が出るのは恐らく来年の5月頃だ。3ヶ月前のMAXを読んでないやつ!!!!!!!!ざまぁみやがれ!!!!!!!!!!!!!!あーーーーー単行本派にマウントとるの楽しーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!