死因はインターネット

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夏休み末の苦悩、薄っぺら原稿用紙

小学生の頃、読書感想文が書けなかった。

今でこそTwitterやブログで漫画の感想を書いてはいるが、これは別に義務教育の文脈で求められている読書感想文とは違う、エンタメ寄りの何かだ。似たような構成で読書感想文を書いて提出したらその先に待つのは担任から体罰の執行。

 

 

教師からウケる読書感想文の構成はだいたいこうなってるらしい……自分は勿論できなかった。

 

◆この本を読んだきっかけ/あらすじ

◆印象に残ったシーン/台詞

◆この本を読んでどう自分に変化があったか

 

 

ショタ千歳とせはあらすじでハチャメチャに文量を稼ぎ、残りを印象に残ったシーンの羅列とちょっとの感情で埋めるクソガキだった。最後に「また、動物園に行きたくなりました。」とか書いてた。そもそもこの本を読んだきっかけも「課題だったから」の7文字しか埋まらないの辛すぎる。

 

Twitterとかでやってるのは好きなシーンを挙げながら「ここ良くないですか????」とか言っちゃうやつ。楽しい。感想文の大トロだ。SNSは共感の為のツールなのでこれ以外の要素は要らない。ここにおける共感とは作者から与えられた餌をパクパク食べる読者同士の共感のこと。

 

問題は「自分にどんな変化があったか?」だ。これが書けなかった、今も書けないと思う……いや……ちょっとは書けるかもしれない、小学生レベルのやつを。

 

どうやら読書感想文というのは自分の体験談をつらつら書いて、だから登場人物のここに共感しました!ぼくも(なまえをいれてください)のように(諦めないとかそーゆーキャピキャピしたことがはいる)ようにしたいです!というのがウケるらしい(暴論)。教師はトロじゃなくて赤身が食べたいのか。

 

 

無理だ〜〜〜〜〜〜!!!

 

 

共感する以上、今までの人生から地続きになった根拠があるんじゃないの〜〜?って事なんだろう、わかってはいる、いるけど多分本心から書くことは難しい。自分を絡める必要無くない?一生FF外から失礼してろ。

自分の人生が薄っぺらくて、登場人物と重ね合わせるだけの経験が無いのもある。と言うかたかだか小学生風情が十人中十人そんな経験ある訳ねぇよ。作者だったり主人公だったり、そういった他人の人生を追体験してなんやかんやのバリエーションを増やすのが読書教育じゃないの?違う?違うか〜〜

若いうちから波乱万丈な経験を積んでいるのか感受性が豊かすぎるのか、エピソードを捏造してるのか、どっちにしろそんな小学生がいっぱいいるの?こっわ〜〜〜

 

 

だがそれ以上に、そもそも読書で変化する必要があるのかと思っちゃう。

そりゃあ確かに物語を読んで憧れとか目標に近い感情を抱いたことはある……あるけどその対象は物語の裏にいる作者の想像力とかそういったクリエイター目線のアレだ。

 

そもそも物語はエンタメで、娯楽だ。高尚である必要あるのか?

 

自分は自己と物語とを切り離して、構造とか、伏線回収とか、登場人物の関係性とか、そーゆーのを楽しみながら読んでいる……んだと思う。主人公Aがそこにいて、こういう動きをした。その行動原理はこのシーンから来ており、ここに繋がって結果的にこうなった。そういった情報を処理しているだけで楽しい。

 

そこで完結してるからそれ以上自分のフォルダの深いところに読書体験が保存されない。だからそこの深掘りが出来ずにあらすじをなぞっただけの感想文が出来上がる。

 

ガキながらに司馬遼太郎坂の上の雲を読んでいた時期があった。当時行ってた塾の塾長に「坂の上の雲は社長になる奴が読む本だ〜」みたいな事言われて褒められたが、NHKで実写版がやってて展開が知りたかったから読んだだけだ。生き方とか哲学に何ら影響を受けた実感は無い、ゴールデンカムイを読む時の事前知識が増えただけだ。

 

物語における天才の生き様を追体験したからといって、自分は別に天才じゃないし……まぁそいつの生き様から掠めとれる1ピースだけでも取り込んで自身を変化させろって事なんだろうな……今納得した……え〜でも小学生にソレは酷じゃない?

 

 

何というか、作者の作った完璧な世界をダシにして無理矢理自分語りするのが解釈違いなのかもしれないな〜って。好きな漫画をチョイスして、ここが凄いからぜひ読んでみそ!!って書くだけで花丸満点貰える世界だったらよかったな。

 

 

めでたしめでたし